最近つくづく思うことがあり、自分への戒めも込めて書いていこうと。
コミュニケーションとは、互いの考え方や価値観を伝える行為だそうだ。
言いたいことを何でも話す人。恥ずかしがり屋でなかなか言いたいことが言えない人。いろんな性格の人がいる。
言いたいことをいう人はうるさいと嫌がられ、言いたいことを言わなければ何を考えているかわからないと思われ、適度なコミュニケーションを図ることは個々の性格に起因することが大きいのは当たり前なのかもしれない。
でも、これは少なからずとも会話があるからこそ感じること。
今はインターネットの時代。人と会わずともビジネスが成り立つ世の中。
相手のことは知らなくても、相手は自分のことを知っている世の中。というよりうわべをわかったつもりで、すべてを知っているような雰囲気になっている。
特に芸能人は大変な職業だと思う。演じる役のイメージやネットに書き込まれるイメージで、会ったこともないのにこんな人と決めつけられてしまう。
インターネットが悪いという事ではない。その使い方がおかしくなっているような気がする。
メールは仕事のツールとしては画期的に業務効率上げてくれていると思う。ひと昔前だと見積依頼の物件の図面は図渡しで、その図面を焼き増しして各専門業者に渡して見積をしてもらうことが慣例でした。そのため、幾枚もある図面の中から専門業者ごとに図面を抽出して印刷して渡していたものです。
図面がデータ化された今では、印刷の手間も省け、1度に多くの専門業者に図面を送ることできる。
コミュニケーションとしてのメールには注意が必要なことも。
送る側は、資料を熟知して送るから相手もわかるだろうと勝手に解釈して一方通行となることが多々あるように思う。メールを送ることが仕事になってしまって、その先に繋がることが伝わっていない。
あるいは、謝罪や断りのメールはなおさらだ。
送り手は感情を込めて文章を作っていても相手にはその感情は伝わらないものだと思う。
相手に会わずして謝罪や断りが出来てしまうことがそもそもおかしいのに、それが通用する世の中になってしまっていることが恐ろしい。
メールで済ましてしまおうと思う自分がいるのも事実。
会って話すことで、相手の表情だったり、癖だったり、臭いだったりを感じることができる。
特に建設業の世界は、人情で成り立っていると思う。
相手に会うことが大切で、会って初めてわかることが多いし、会うことでその後の仕事がうまくいくことの方が多いと思う。
あの人の為なら協力してあげよう思えるような人間になるなれるように心掛けていきたいものです。